私的日本教育改革論

お金じゃぶじゃぶ状態を無理矢理作って、一時的に、国をお金持ちに戻そうとしている。

じゃぶじゃぶの散財の祭の後のことは、あまり語られることは無く、今にしか視点が配られていない様に感じられて仕方がない。

散財のツケを払うのは、使った本人ではなく、子や孫である。それも、身内ではなく、無関係な若者や子供達である。

その若者や子供達は、公教育制度が整備されている筈の日本において、私的教育機関である、学習塾や予備校などに、私的費用負担を強いられている。

即ち、日本の公教育制度が、正常に機能していないと言うことである。

その理由は、部外者には分からない。しかし、文科省の学習指導要領などを読むと、おぼろげに気づくのは、公教育における、教育内容の『古さ』である。特に、中学校と高校の理科と社会科が実社会との乖離が激しい。

例えば、高校の物理では半導体を教えない。液晶に関する記載もない。リチウム電池の記載も無い。未だに、斜面を滑る消しゴムや、電磁誘導を教えている。

社会科は、科目が細切れ過ぎる。歴史は単に起きたことの羅列である。現代社会と言う科目があるが、これも項目の記載だけである。何が問題かと言うと、歴史的事件と宗教、思想、科学技術との関連が語られていない。東アジアの歴史とヨーロッパの歴史を、事件の羅列として教えても退屈なだけである。現代の複雑な世界を考察するためには、単なる事件の歴史ではなく、比較文化論的に、宗教、思想、科学、文明論などをまとめて、歴史を教える必要がある。つまり、高校までの社会科教育の目標レベルが低い。

公教育は、制度ではなく、目的と目標と運用をまとめて見直さられるべきである。

現在の義務教育制度は、明治維新以降の、富国強兵政策の一環として整備された名残りである。そのため、一兵卒、工場労働者を作るための教育内容に留まっている。

高校教育、特に、普通科高校は、事務作業の職場が数多く有った時代の名残りである。高校卒資格で、それなりの仕事が出来るようなカリキュラムが組まれたままである。

しかし、現代は、中卒の半分が大卒になる。工場労働者育成教育の価値も事務作業者育成教育の価値も公教育機関から失われている。

かつ、現代の工場労働者は、単純作業だけではなく、ロボットでは対応出来ない、高度技能を有することを要求される。単純作業の工場労働者は、一時的雇用で賄われる。

事務作業の電子化により、人手の掛かる事務作業は、少なくなった。そのため、大卒であっても、事務作業の職場は見つけにくい状態である。それが、大卒者の就活難民を産み出す理由であろう。

高卒がほぼ100%ならば、高卒は事務作業職員のための教育機関ではなく、大学入学前の、一般教養教育機関に変わるべきである。これは、現状、大学教養課程で行われている教育内容を、高校までで、済ませることである。教科書を、大学の1.2年生が使うレベルするということである。数学ならば、εーδ、物理ならば、微分方程式を使うと言うことになる。

社会科教育は、更に変更を要する。高校全入状態ならば、中高6年間で、歴史の断片ではなく、宗教や思想、科学との関わりなどの変遷と共に、その時代の人達の考えに基づいて教えて行くことに変える。現代の思想により過去を見るのではなく、過去の同時代人として考え、そして、現代社会との比較を出来ることを目標とする。この程度は、高校生で十分に可能な筈だ。

音楽、体育教育内容も変える。今の音楽教育は、兵隊さんが、軍歌を歌うのに困らない程度のものである。体育も同様である。音楽は、歌うことや、演奏することではなく、鑑賞するための教育に変える。即ち、音楽史を含めて、楽譜を読めること、和音理論、作品の歴史的背景など、知的な科目に変える。

体育は、スポーツ科学に基づく、生涯の健康維持のための教育科目にする。

技術家庭は、現状は、恐らく、盲腸科目であろうが、3D CAD、機械加工実習、機械組立、コンピュータプログラミング、電子回路設計、制作、評価、服飾デザイン実習、栄養学に基づく調理実習,ダイエット,サプリメント利用法など、本屋でハウツー本が売られていることを積極的に教える。宿題も多く出す。CAD設計、コンピュータプログラミングなら、課題として十分である。

英数国などは、技術家庭の実習をクリアするための、日陰の科目にしてもいい位である。

これらにより、高卒者には、高度な工場労働者になれる素養を、身につけさせる。

大学入学者は、全員、理系と文系の二つの学士取得を義務づける。高校で、一般教養は済んで居るので、4年あれば、二つの学士取得は可能であろう。

こうなると、どういうことが起きるか?子供たちは、塾や予備校に通っている暇が無くなる筈である。技術家庭、音楽、体育の宿題を課し、そのために英数国を利用する。

更に、全員一律の黒板方式の授業もやめる。eラーニングにより、一人毎に異なる内容にする。よって、受験テクニックだの、試験の裏技など効かなくなる。

これだけ、科目の内容を変えると、恐らく、親達は、子供たちが学んでいることを理解出来ない筈である。よって、モンスターな親が、怒鳴りこんで来るリスクも減る。

日本人の頭を19世紀の遺物から、21世紀に合致したものに、一気に変える必要がある。

問題は,現場の教諭の多くが,21世紀文明に対応していないであろうと,予想できることである。

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