多元的宇宙論がSFから科学になってきたらしい。

多元的宇宙論が,SFではなく,科学に成って来たことが書いてあります。でも,これって,絶対神が宇宙を創造したと考えるから,多元的宇宙論に新規性があるのですが,曼荼羅の世界である,萩尾望都さんの『百億の昼と千億の夜』(原作 光瀬龍さん)を読んでる私らにとっては,不思議でも何でも無い。

宇宙とは大きなタマネギやキャベツ畑みたいなもので,人間なんて,キャベツ畑の中の一つのキャベツに寄生している毛虫みたいなものではないかと,しばらく前から考えるようになりました。太陽の沢山の集まりである銀河が沢山あることが分かっているのだから,銀河の集まりである『宇宙』も沢山あっても不思議ではない。宇宙が沢山あつまったものを『超宇宙』とでも名付ければ,『超宇宙』の集まりである『超超宇宙』もありだろうと思います。もちろん,その『超超宇宙』の集団もありです。

と,言うことは,人は,永遠に神の創造した宇宙の姿の全貌を見ることはできないと言うことになります。それは,宇宙を創造した絶対神などいないとすることが真であるということの逆説的証明となる。

話しは飛びますが,一神教の支配する地球とは,人の歴史の中で,とても短い歴史上のことであって,宇宙は神が創造したものではなく,宇宙は神が現れるずうと前からあり,ただ,姿を色々変えているだけで,数学的極限である,『無限大∞』とは,実在するのではないでろうかと,『子どものようなこと』を,この記事から思うわけです。

一神教の神よりも曼荼羅の方が,宇宙の正しい姿ではないかと言うのが,この記事の結論です。

In Lopsided Map of the Cosmos, a Glimmer of Its Origins http://shar.es/xDJ5l @SimonsFdnOrgさんから

理系に必要な歴史および政治経済教育。文系に必要な理系教育。

何故なのか,理解できないのであるが,日本の高校(学校によっては中学校)で,進路を文系と理系に分ける。そして,ほぼ大多数が文系を選択する。その理由は,数学と物理・化学が苦手だという理由のため。

しかし,21世紀の現代において,理系だの文系だの学問の壁を作っている余裕は無いと考えている。

堅い言葉は不要であるが,思想を持たない研究開発はムダであり危険である。 科学知識のない人が選択できる職種は限定され,就活とかいうムダな努力に時間とお金を使わなければならない。

他国の教育制度について無知であるが,理系と文系とかいう二者択一の進路指導をしているのは,希有なのでは無かろうか?

理系の科目とは数学・物理・化学・生物・地学。文系の科目とは古文・漢文・世界史・日本史・地理。英語は理系も文系も共通であろう。

数学・物理・世界史とは,18世紀まではすべて哲学であり,同一のものであった。化学は錬金術。生物と地学と地理は博物学である。日本にそれらの科目を輸入するときに,細分化したに過ぎない。なぜなら,明治に西欧文明を輸入する際,西欧の一般教養を一遍に輸入できなかったため,細分化して専門家を育てた名残であろうと思う。

20世紀半ばまではそれで良かった。時間の流れが緩やかであったからである。1冊の本をゆっくりと読んで,手紙で連絡を取り合い,コトが済んだ。

しかし,21世紀の現代では,そんな悠長なことはできない。職場で,毎朝のルーチンワークは,重要なメールが届いていないかのチェックであり,場合によっては,一通のメールへの対処が大事になる。数行のメッセージから,多くのことを考えなければならない世の中になってしまった。

そうなると,個人の持つべき素養は,自分は理系だの文系だのと,古い時代に定められたようなものでは済まない。

理系の学生の最も足りない知識は世界史である。別に何年に何が起きたと言うような事象の暗記ではない。西欧史だけに注目すれば,ルネッサンスとニュートンのプリンピキアがどのような時代に起きたか?産業革命を起因とする,現代までの影響はなにか?物質の原子論が確立したのはいつ頃であったのか?DNAの二重らせん構造が発見されたのは何年前か?精々,この程度のことで良い。つまり,科学技術が,世界史を変えたということに関心を持っているか?そして,研究者としてであろうが,技術者としてであろうが,科学技術に関わるということは,歴史を変えることに参加すると言うことに他ならないと言うことに気づけるかにある。

一方,文系の学生に足りないのは,圧倒的に数学の知識である。数学を毛嫌いしている人は少なくない。しかし,企業に就職した多くの人が,数学を真剣に勉強しなかったことを悔やんでいるはずである。特に,メーカーに就職したならばだ。企業は数字で溢れている。利益計画は数字で示される。その達成手段も数値化される。精度の高い見積書を作るのには,自社の技術の定量化ができないと不可能である。客からの要求は高度な技術仕様であったりするが,科学的素養の無い人は,その意味するところが理解できずに,客先に笑顔だけを持って行って,「素っ頓狂」扱いされる。 そんな実利的なことではなくても,世界史,そして,現代社会に科学技術が及ぼした影響を,自身で考察することが,「単に数学が分からない」と言うだけで,できない。なので,「分かりやすい***」だの「マンガで読む**」なんていう,何の役にも立たない本を読むはめになる。

多くの人にとって,高度な専門性は不要である。しかし,広い教養は必要である。

理系にとって,世界史,特に,ルネッサンス以降の西欧史は不可欠である。文系にとって,ニュートン以降の科学史は不可欠である。ルソーやカントやニーチェを理解するために,当時の科学レベルがどういうものであったのかを知らずに,哲学書だけ読んでも無意味である。

高校が,大学受験資格を得る場ではなく,日本人の教養レベルの平均値を維持する場になることを切に願う。